田舎暮らしの30代看護師
自己満
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ミステリー

『サクラサク、サクラチル』辻堂ゆめ

 

今回紹介するのは『サクラサク、サクラチル』です。

「絶対に東大合格しないと許さない」

強いキャッチコピーもさることながら、著者が東京大学法学部をご卒業されている辻堂ゆめさんということで気になったこちらの作品。

著者の辻堂ゆめさんは、1992年神奈川県生まれ。東京大学卒。

第13回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し『いなくなった私へ』でデビュー。

『トリカゴ』で第24回大藪春彦賞受賞。

他の著作に『山ぎは少し明かりて』『十の輪をくぐる』『僕と彼女の左手』『二人目の私が夜歩く』『あの日の交換日記』などがあります。

辻堂ゆめさんの作品を読むのは『二重らせんのスイッチ』『二人目の私が夜歩く』『あの日の交換日記』以来4作目。どの作品も最後まで展開が子測できず読者を飽きさせない作品で、注目している作家のひとりです。

『二人目の私が夜歩く』の紹介記事のリンクはこちらをクリック。

『あの日の交換日記』の紹介記事のリンクはこちらをクリック。

当ブログでは、なるべくネタバレの無いようあらすじ・感想を書いております。

 

あらすじ

 

”絶対に東大合格ししなさい” ーそれは愛、だったのだろうか。

両親の熱烈な期待に応えるため、高三の高志は勉強漬けの日々を送っていた。

ある日、クラスメートの星という少女から、自身をとりまく異常な環境を「虐待」だと指摘される。

そんな星もまた、親からネグレクトを受けていることを打ち明ける。

深く共鳴した二人はやがて、自分達を追い詰めた親への〈復響計画〉を始動させることに。

教室で浮いていた彼女と、埋もれていた僕の運命が、大学受験を前に交差する。

驚愕の結末と切なさが待ち受ける極上の青春ミステリー。

 

注目ポイント

過干渉とネグレクト

高校3年生である染野高志は両親に東大合格を強いられ、勉強時間、食事、トイレの時間まで親に決められた生活を送っていた。

学校帰りの寄り道やスマホを自由に使うことも許されず、過度のプレッシャーと闘っていた染野だったが、クラスメイトである星エリカに声をかけられる。

「染野って同じ匂いがするんだよね」

彼女も貧困の母子家庭に育ち、育児放棄の母親と自身の生活を一身に背負っていた。

復讐計画

両親の自身への過剰な指導は教育や躾の一貫。

全ては東大受験や自身のためを思っての行動だと自分に言い聞かせてきた高志。

しかし、星と関わるうちにその異常性に気づき、ある感情が芽生え始める。

そして、二人はそれぞれの親への復讐計画を立て始める。

果たして、その計画とは一体、、

嫌がらせの正体

SNSに送られてくる匿名の嫌がらせのメッセージ、学校に送られてきた身に覚えのない写真、そして、模試の当日にシャープペンシルに仕込まれていたカンニングペーパー。

嫌がらせの正体は、ライバルでもあるクラスメイトなのか、はたまた、もっと身近にいる別の誰かなのか、、

 

感想

“教育虐待”については、医学部9浪娘が実母を殺害した「母という呪縛娘という牢獄」でも取り扱っていますが、本作の高志の両親による躾の域を超えた行動は読んでいて目を背けたくなるような残虐なシーンが多かったです。

「人の常識とは、自分の家庭を基準にして醸成される。」(引用)

これまでの人生において親友と呼べる存在がいない高志は、高校3年生になっても自らの家庭環境が”異常”であることを疑っていませんでした。

このストーリーのキーパーソンとして高志の姉・奈保がいます。

奈保は優しくて優秀な姉であり、高志はいつも「できないほう」の烙印を押されていました。

それでも思いやりのある奈保のことを高志は誇りに思っていました。

ところが、奈保は現役で東大受験に不合格、一浪しても再度不合格になってしまい引きこもり状態になってしまいます。

染野家の父母が高志に厳しくなった真の理由を徐々に高志は理解していくことになります。

両親が掌を返したように僕に期待の言葉をかけ始めたのは、僕の能力を認めたわけではなく、高値が付きそうだった壺が割れてしまったからだ。壊れた姉は、もう元に戻らない。ならば、僕という形の悪い壺を、なんとか磨きあげて完壁な状態に仕上げるしかない。(引用)

親の期待に応えようとする息子。

そう言われれば美しいですが、常識を逸脱した指導、躾、歪な家庭環境が作り上げた、いわば、洗脳の状態にあると言えます。

一方、高志のクラスメイトである星も普通でない家庭環境の下、育ってきました。

「星さんは、お母さんのためを思って一生懸命世話をしているつもりでいる。だけど、お母さんは最初から、何があっても自分に尽くしてくれる、都合のいい子どもを育てるつもりだったのかもしれない」

自分がいないと母は生きていけない。という知らず知らずのうちに共依存的に洗脳状態にあったことに気付かされます。

近年、親ガチャという言葉が存在します。

子は親を選ぶことができません。

自分の子どもを愛することができない親、無責任に子どもを産む親は少なからず存在します。

では、そんな親のもとに生まれた子は不幸なのか、

はっきりいうと不幸です。

では、恵まれない環境に負けず、野心を持ち続け、後世に同じような思いをさせまいと生きていくのか。

はたまた、全てを環境のせいにし、歪んだ人間性と堕落した人生を生きていくのかは、その人次第であり、私のような恵まれた人生を歩んできた人間にはどうこう言える問題ではありません。

だからこそ、この作品を読み、幸せとは何かを考えるようになりました。

過干渉型毒親家庭とネグレクト型毒親家庭。

対極の環境で育ったものの、どちらも”普通ではない”親に育ち苦しめられてきた2人。

教育を受けさせてもらえる、親から暴力を受けない、毎日風呂に入れる、本を読む時間がある。

幸せとは何かを考え、共有できる、友人でも恋人でもない、同志のような存在に出会えたこと。

この人に出会えてよかったと思えること、その貴重な出会いこそが幸せなのかもしれません。

そして、第1章の最後は下記のように締めくくられます。

一つ、確かな事がある。染野高志、星愛璃嘉なんて人間は、これまでどこにもいなかった。これから一作っていく。自分たちの将来と、親との決別を天にかけて、〈復讐計画〉が今、始動する。(引用)

果たして、復讐計画とは何なのか、虐待という事実から目を背けずに生き続けた少年少女を待ち受ける結末から目が離せませんでした。

そして、自分が人の親、先輩といった社会的立場が上になってきた時に、無意識のうちに相手を自分の手中に収めるようなコントロール的立場になっていないか俯瞰的に見ることも必要になってくると感じましたし、立場が下の人間の挑戦や成功を応援したり、喜んだりできる人間でありたいなと思いました。

 

こんな人にオススメ

 

・親から虐待を受けたことがある
・教育虐待を受けたことがある
・自分が幸せなのかを考えることがある

教育虐待の悲惨さや恐怖、目を背けたくなるシーンの描写があります。

しかし、物語としては見応えある作品だと思います。

少年少女が出会い、芽生えた感情とその移り変わり、自由に選択できる喜びや明日を楽しみだと思える幸せ、大切なことを教えてくれる作品です。

『サクラサク、サクラチル』ぜひ、読んでみてください。