学生時代とは違い、社会に出れば年齢、価値観や考え方など自分とは異なる人間と関わっていかなくてはなりません。気が合う人だけ、年が近い人とだけ関われば良いというわけにはいきませんよね。
自分と合わない人も中にはいるでしょうが、嫌でもそういった人たちと関わっていかねばなりません。
その中で相手の目を気にしたり相手に合わせたりと、理不尽さを感じつつ口には出せない鬱憤を溜めながら生きている人が世の中にはたくさんいます。
本日は不合理な世の中を生きる女性をリアルに描いた作品・高瀬隼子氏著作「いい子のあくび」について紹介していきます。
著者の高瀬隼子氏は2019年「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。2022年に「おいしいごはんが食べられますように」で第167回芥川賞を受賞されています。
当ブログではなるべくネタバレの無いようにあらすじ・感想を書いております。
あらすじ
公私共に私は「いい子」。人よりも少し先に気づくタイプ。わざとやっているんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうからしちゃうだけ。
でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人を避けてあげるのはいつも私だけ?
私が何かをしてあげるのは、なんか、おかしい。だから避けなくてよかった。
怪我をしてでも、あの子のために私が何かしてあげたりしなくてよかった。ー表題作より
だっておかしい。割に合わない。
不合理な偏りだらけの世の中に生きる女性たちの、静かな心の叫びを描く全三話。
感想
読み終えて最初に抱いた感想は、割に合わないからといってやりすぎ感は否めないですが、気持ちはわかる。そして、世の中同じような思いを抱いている人は多いのではないかと感じました。
人前ではいい子でも、頭の中では違った自分が存在しており社会は本音を言いにくい状況。
不快感や理不尽を感じつつ言葉にすることができず、苦しみや苛立ちが増えていく。
自分だけが割を食う、損な役回りを引き受けてしまう。社会ではよく見かけることです。
効率よく回していると、遅い人の分まで回ってきて仕事量が増えてしまう。真面目で努力している人ほど損をするのはよくある話でしょう。
しかし、割に合わないからといってそこまでしますか、というのが正直なところです。
「ぶつかったる」
という衝撃的な書き出しから始まる本作。
歩きスマホの男性相手にぶつかれば、自分が怪我をするかもしれないし怪我をさせるかもしれない。報復に遭うかもしれないし、警察沙汰になるかもしれない。
あらゆるデメリットが考えられます。
それを差し引いてでも衝動的な行動に出てしまう人間も中には存在しますが、この主人公は至って冷静かつ理性的です。
職場や恋人の前ではいい子でありつつ、内心では毒気のある女性。
言葉やセリフ回しに下品さが無い分、リアリティがあり、こんな子いるいると思わされてしまう。どこか嫌いになれない主人公。
そういったところに著者の人物描写の巧さと緻密さが窺えます。
「悪くいう方が裏で裏が本当というのは違うだろうという確信」(引用)
裏表のない人間がいるのでしょうか。というのが私の考えです。
人には二面性があり、それを人前で出すか出さないかの話です。
表の顔と裏の顔どちらが本当の自分なのかと問われるとどちらも本当の自分なのではないかと思います。
しかし、この主人公は裏が本当というのは違うと確信しているのです。
どこか猫を被っていい子を演じている表の顔でいたいと心の底では思っている主人公。
だからこそ善意の搾取や見えない優しさで成り立っている不合理な社会で生きることへのいきづらさや不満がより鮮明に描かれ、裏の顔が濃く心に刻まれます。
この作品を読み終えた時、繊細で現実的かつ嫌味のない毒気に共感も覚えましたし、日常に潜む不合理さや生きづらい世の中への疲労感のようなものも感じました。
こんな人にオススメ
・意識的にいい子を演じている自分がいる
・裏では毒を吐きたい
・社会や日常に生きづらさを感じている
人は日常に潜む違和感や理不尽さを感じつつもどこか割り切って生きているものです。
しかし、善意の搾取や見えない優しさで成り立ってしまっている不合理な社会を当たり前とは思わない方が良いですね。
いい子があえて噛み殺した、飲み込んでくれた言葉や行動、抑えた衝動があることを忘れずにいこうと感じました。
日常の苛立ちや違和感から歩きスマホの人間に「ぶつかったる」という行動にでた主人公。
その行動がたどる結末も注目ポイントですね。
共感できる部分とできない部分がありつつもどこか嫌いになれない主人公。
そして、読み終えた時に残る若干のモヤモヤ感がクセになる「いい子のあくび」。
ぜひ読んでみてください。