漠然とした質問ですが、医療と聞いてどんなものを思い浮かべますか?
ブラックジャックのようなゴッドハンドで難しい外科的手術を行い、命を救うことやテレビドラマのようなドクターヘリに乗り、救命救急の現場で命に向き合うこと。
人にはライフステージというものがあり、おおまかに乳幼児、学童期、青年期、壮年期、老年期に分けられます。
命を救うのも医療ならば、誰しもが必ず迎える命の終焉をどういうものにするかもまた医療なのです。
正反対のようですが、命と向き合うという面では紙一重なのかもしれません。
今回は夏川草介氏著作『スピノザの診察室』を紹介します。
夏川草介氏は1978年大阪府生まれ。信州大学医学部卒業。長野県にて地域医療に従事。
2009年『神様のカルテ』で第十回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。
同書は2010年本屋大賞第2位となり、映画化されました。
他の著書に『本を守ろうとする猫の話』『始まりの木』、コロナ禍の最前線に立つ現役医師である著者が自らの経験をもとに綴り大きな話題となったドキュメント小説『臨床の砦』などがあります。
あらすじ
雄町哲郎は京都の町中の地域病院で働く内科医である。
三十代の後半に差し掛かった時、最愛の妹が若くしてこの世を去り、一人残された甥の龍之介と暮らすためにその職を得たが、かつては大学病院で数々の難手術を成功させ、将来を嘱望された凄腕医師だった。
哲郎の医師としての力量に惚れ込んでいた大学准教授の花垣は、愛弟子の南茉莉を研修と称して哲郎のもとに送り込むが……
主な登場人物
雄町哲郎 〜 京都の原田病院の内科医。愛称はマチ先生。かつて大学病院で凄腕の内視鏡医として将来を嘱望されたが、病死した妹の息子である龍之介を引き取る際、大学医局を退局する。
花垣辰雄 〜 哲郎の先輩医師で大学病院の准教授
南茉莉 〜 大学病院の消化器内科医3年目の若手女性医師。花垣の計らいで哲郎のもとに内視鏡を学びにやってくる。
鍋島治 〜 原田病院の院長で外科医
中将亜矢 〜 原田病院の外科医
秋鹿淳之介 〜 原田病院の内科医。元精神科医
美山龍之介 〜 哲郎の妹である美山奈々の息子。中学生。妹亡き後、京都のアパートで哲郎と暮らす。
感想
命を救うのも医療、看取るのも医療。
医師は患者の病態、本人や家族の意思、経済状況などあらゆる側面を考慮した上で、最善の選択をしなければならなく、その人にとっての「幸せ」とは何なのか、果たしてその選択に誤りはなかったのか。
医療の現場での医師たちの葛藤が鮮明に描かれていました。
タイトルにもある「スピノザ」とはオランダの哲学者の名前です。
マチ先生こと哲郎は、卓越した技術を持つ一流の医者ながら、往診へと自転車で出かけたり、大の甘党であったり、患者や看護師にも横柄な態度をとるわけでもない。
どこか飄々とした掴みどころなない医師です。
そんなマチ先生にも哲学者めいたところがあります。
「人の幸せはどこから来るのか、、」
「それが私にとって最大の関心事でね」
「少しでも多くの人たちが幸せに過ごせるように、自分には何ができるのか、そんな風に言い変えても良いかもしれない。もちろんこんなこと言うと、笑われることもある。患者の病気を治すことに決まっているだろうってね。病気が治れば患者は幸せになるんだから、そこに力を尽くせば良い。私自身も以前はずっとそう思っていた」
「たとえ病が治らなくても、仮に残された時間が短くても、人は幸せに過ごすことができる。できるはずだってのが私なりの哲学でね。そのために自分ができることは何かと、私はずっと考え続けているんだ」(引用)
こんな先生、現実にいたらぜひ一緒に働きたいです。(私は一応看護師なので)
マチ先生はかつて大学病院を対局した経歴を持ち、もし、大学に居続けたら優れた症例研究や難しい手術を次々成功させ、教授まで登り続けていただろうと花垣先生も認めるところ。
しかし、マチ先生本人は、そこまでの野心家ではないが、医師として良い仕事はしたいという「矜持」は持ち合わせている。
これも花垣先生が言うところ、また事実です。
大学病院で最先端の技術研究を求め患者の命を救う医療。
地域医療に根ざした小さな病院で患者一人一人の顔を見て、時には治らない病気に向き合わなければならない医療。
正反対のようですが、その人が願う幸せをより身近なものにするために、高めあい、時には葛藤する医師たちの姿が鮮明に描かれていて、とても胸を打たれました。
マチ先生や花垣先生だけでなく、原田病院の医局にはその道のスペシャリストながら、どこか風変わりだったりと、そのキャラ設定も本作の魅力だと感じました。
こんな人にオススメ
・医療従事者
・京都が好き
・人間ドラマが好き
著者は現役の医師であり、本作も医師が主役の物語なので難しい専門用語が出てくるのですが、解説もあるので比較的読みやすいと思います。
京都が舞台設定であり、甘味処や銘菓、京都の街並みや景色、植物までもが鮮明に描かれているので、京都出身の方にはたまらないと思います。
大学病院と地域医療、命やものの価値観、それを取り巻く人間模様をリアルに描いた作品です。
『スピノザの診察室』ぜひ、読んでみてください。