承認欲求とは誰しも持ち合わせていて、他人から認められたいと心のどこかで思っているものですよね。才能や名声、富といった皆が欲しがるものを求めてもがく者は少なくないでしょう。
そういった欲求の裏側には、たいてい見栄やコンプレックスが隠れているものです。
追い求めるうちに、知らず知らずのうちに他者と自分を比べて、アイツには勝ってる、アイツよりはマシだと、他者を下げることで承認を満たそうとしたり。一度は経験があると思います。
そんな承認欲求を追い求めた先に何があるのか、突き詰めてみるのも面白いかもしれませんね。
本日は小川哲氏著作『君が手にするはずだった黄金について』を紹介します。
小川哲氏は1986年、千葉県生まれ。東京大学大学院研究科博士課程退学。
2015年「ユートロニカのこちら側」で第3回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞しデビュー。
2017年刊行ね『ゲームの王国』で第31回山本周五郎賞、第38回日本SF大賞を受賞。
2022年刊行の『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、第168回直木三十五賞を受賞。
同年刊行の『君のクイズ』は第76回日本推理作家協会賞〈長編および連作短編集部門〉を受賞しています。
当ブログでは、なるべくネタバレの無いようあらすじ・感想を書いております。
目次
あらすじ
才能に焦がれる作家が、自身を主人公に描くのは「承認欲求のなれの果て」
認められたくて、必死だったあいつを、お前は笑えるの?
青山の占い師、80億円を動かすトレーダー、ロレックス・デイトナを巻く漫画家…….著者自身を彷彿とさせる「僕」が、怪しげな人物たちと遭遇する連作短集。
彼らはどこまで嘘をついているのか?いや、嘘を物語にする「僕」は、彼らと一体何が違うというのか?
いま注目を集める直木賞作家が、成功と承認を渇望する人々の虚実を描く話題作!
内容紹介(ネタバレなし)
プロローグ
あなたの人生を円グラフで表してくださいというエントリーシート。
円グラフで表現することのできない剰余があることに気づいた僕。
エントリーシートの中の人物は、本当に自分なのか、僕は何者になるつもりなのか?
三月十日
東日本大震災が起こった日、自分が何をしていたのか、覚えている人は少なくないだろう。
では、その前日の三月十日に何をしていたのか、覚えている人はいるだろうか。
思い出したと思ったその記憶は、自身の思い込みや、記憶違いじゃないだろうか。
記憶と事実が一致しない。都合よく作られた記憶なのか。
小説家の鏡
友人の妻が占い師に唆されて仕事を辞め、小説を書きたいと言い出した。
僕は占い師が嫌いだ。インチキに決まっている。
僕は小説の中の「私」になりきって、占い師な化けの皮を剥いでやろうと出向くが、、
君が手にするはずだった黄金について
思い込みが激しく、何をするにも実力が伴わない元クラスメイトが、大人になった今、億万長者になったらしい。
そんなはずはないと考える者や、そんなこともあるんだねと言う者、感想は二極化した。
ただ一つ言えるのはちっとも羨ましくないということ。果たして彼が追い求めた黄金とは?
偽物
ロレックスの中でも最上級のデイトナの偽物を腕に巻く漫画家がいた。
周囲の人間は、彼は偽物であり、偽物の腕時計を巻くような男は信用できないと口を揃える。
実際、彼の漫画は盗作だらけなのだという。偽りで塗り固められた彼の真意は?
受賞エッセイ
どちらの小川様ですか?
知らない番号からかかってきた電話に折り返して、小川だと名乗ると、そう聞かれた。
僕は分からなくなった。僕のことを人は小説家と呼ぶけれど、そう名乗るだけの根拠はあるのか。
小説家には免許も資格もない。僕は自分で思いついた架空の話を文章にして人に売っている。事実ではない、嘘の話を人に売っている。
さっきまでの短編に出てきた嘘つきたち、物たちと、僕は何が違うのだろうか。僕も彼らと同じ物なのか、僕は本当に本物か?
感想
私小説のようなエッセイのような不思議な感覚の作品でした。
主人公は一人称「僕」の著者・小川哲。
すべて小川さんが体験したリアルに基づいて書かれているのか、どこまでが本当で、どこまでが創作なのかがわからない絶妙なラインで描かれており、著者の技巧が光っていました。
それは、まるで著者・小川哲の思考を覗いているような感覚で、随所に哲学的思考や思慮深さが垣間見えます。
クリプキによれば、僕たちの名前には、記述では回収しきれない剰余がある。
その剰余とは、さまざまな可能性を繋ぎとめる楔のことだ。
僕たちは手に入れることのできなかった無数の可能世界に想いを巡らせながら、日々局所的に進歩し、大局的に退化して生きている。
きっと、そうすることでしか生きていけないのだと思う。(引用)
哲学的だと思いませんか?
就活中の主人公が「あなたの人生を円グラフで表現してください」というエントリーシートに頭を抱えるという冒頭から始まる、序章「プロローグ」。
序章らしくそこには著者の宣戦布告のようなものを感じました。
自分の人生には円グラフでは表現しきれない剰余があると考えた主人公。
恋人の助言もあり趣味であった小説を書いてみることに。
就職するだけの十分な動機が見つけられなかった主人公は動機となる根拠を探し出し、自分という人間の設定を変えてみることにします。
そこで気づきます。本物の世界の自分には就職する動機がないが、小説の世界にはいくらでもあることに。
小説を書くということは無数の可能世界に想いを巡らせることです。
可能世界とは、就職するというありえたかもしれない自分の未来です。
すなわち、小説というものがそもそも虚構の物語であり、この先の短編もまた、虚構の世界であると私は解釈しました。
考えてみてください。
小説家である小川哲さんが、就活時に自分という設定を変えた小説を描き、それがきっかけで就職せずに小説家になったということが、この序章では描かれています。
それがすべて真実なのか、はたまた作り話なのかは著者にしかわからないことなのです。
小説家として生きるということは、ある種の偽物として生きるということではないか、そんなことを考える。(引用)
自分を偽りながらも承認欲求を満たそうとする人物たちに出会いながらも、可能世界という虚構に想いを巡らせる小説家もまた偽りの成功を手にしようとしていることに主人公は気づきます。
そして、それは私たち読者にも当てはまることだと思いました。
虚構の世界の偽りの成功を求めている人間に対して抱く感情。
それは果たして本物なのか、はたまた偽物なのか、、
深いと思いませんか?
小説家が描く「小説家」を主人公とした物語。本物と偽物は紙一重であり、その世界に生きる自分は何者なのか。
そんなことを思いながら読んでいくと、いつもと違った楽しみ方ができると感じました。
こんな人にオススメ
・承認欲求の塊の人
・自分にコンプレックスのある人
・自分が何者であるかを考えたことがある人
ほとんどの人が当てはまるのではないかと思います。
承認欲求の塊のような登場人物に「こんな人いるいる」と感じながらも「あれ?でも自分も、、」と考えてみたり。
個人的には「プロローグ」と「三月十日」が面白かったです。
なんとも不思議な体験と共に、いろいろ考えさせられる作品でした。
ぜひ読んでみてください。