今回は塩田武士氏著作『存在のすべてを』について紹介していきます。
前代未聞の「二児同時誘拐事件」から始まる物語で、事件から30年後に出た記事をきっかけに、止まっていた時間が再び動き出します。事件の裏に隠された真実を追う記者と、ある空白の時間について濃密に描かれています。
前半はミステリー要素たっぷりで展開されながら、中盤から後半にかけて人間愛や家族愛、記者の在り方なども描かれた作品となっております。
著者の塩田武士氏は1979年兵庫県生まれ。
2010年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞、11年第23回将棋ペンクラブ大賞を受賞。
16年『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞、「週刊文春ミステリーベスト10」国内部門第1位。
著書に『女神のタクト』『崩壊』『騙し絵の牙』『デルタの羊』『朱色の化身』などがあります。
当ブログでは、なるべくネタバレの無いようにあらすじ・感想を書いております。
あらすじ
30年前に起こった前代未聞の「二児同時誘拐事件」
1人は数日後に無事保護されるも、もう1人の被害者内藤は行方不明に…
しかし、事件から3年後、被害男児の亮は突然、祖父母の元に現れる。
事件は未解決のまま30年の月日が過ぎ、当時警察担当だった新聞記者の門田は誘拐事件の捜査にあたった刑事が引退後も事件の真相を追っていたことを知る。
旧知の刑事が亡くなったことをきっかけに被害男児の「今」を知った門田。意思を引き継ぎ事件の真相を探っていく。
内藤亮の「空白の3年間」について調べるうちにある写実画家とその妻の存在が浮かび上がる、、、
注目ポイント
二児同時誘拐事件
平成3年、神奈川県で起きた前代未聞の「二児同時誘拐事件」。物語はここから始まります。
一人は無事保護できましたが、もう一人は行方不明のまま事件は未解決となってしまいます。
しかし、事件から3年後、行方不明の少年は突然自宅に帰ってきます。
行方不明だった3年間のことを一切語らない少年。果たして3年の間に何が起こったのか、、
事件から30年後
事件から30年の時が経ち、当時事件を担当していた刑事・中澤が亡くなったことをきっかけに物語が再び動き出します。
葬儀に参列した新聞記者の門田。
門田は30年前、警察担当として誘拐事件の取材をしており、中澤と交流がありました。
そこで知り合いの刑事と再会し、誘拐事件の被害者である亮の現在の姿を知ることになります。
なんと、亮は如月脩と名前を変え、写実画家として活躍していました。
ある写実画家と空白の3年
門田は亮が画家をしているという情報と当時の誘拐事件の容疑者の親戚に同様の画家がいることを知ります。
その画家の名前は野本貴彦。
門田はその関係を調べるために写実画家に関わる画廊へ取材に向かいます。
その中で次々と浮かび上がる真実。誘拐後、戻ってくるまでの3年間に何が起きたのか。
無数のピースが一つに繋がった時、見えてくる物語にぜひ注目してほしいです。
感想
前半はミステリー要素たっぷりで誘拐事件発生から警察と犯人の駆け引きなど、緊迫した展開から物語は始まり、冒頭から心を掴まれました。
事件発生から30年後、新聞記者の門田が再び真相を追うのですが、足を使った地道な取材と様々な人との出会いを経て、ただの事件だったものが様相を変え一つの真実に辿り着きます。
「私はきちんと人間を書きたい。仮に誘拐に加担したとしても、大切に乳歯を取っておくような人たちがいたのなら、彼らを『犯罪者』という先入観で塗り潰したくありません。釈迦に説法ですが、私はこう思うんです。人には事情がある、と」(引用)
誘拐という凶悪犯罪に潜む数々の違和感。そこにはどんな人間が、どんな思いで生きてきたのか。犯罪という一面にとらわれず他方から事件に向き合う記者としての矜持を感じることができました。
「これから世の中がもっと便利になって、楽ちんになる。そうすると、わざわざ行ったり触ったりしなくても、何でも自分の思い通りになると勘違いする人が増える思うんだ。だからこそ『存在』が大事なんだ。世界から『存在』が失われていくとき、必ず写実の絵が求められる。それは絵の話だけじゃなくて、考え方、生き方の問題だから」(引用)
目の前にあるものをしっかり見て、その存在の実を見る。写実画を描くということは『存在』を考えるということ、という写実画家の信念も記者や刑事と当てはまり、物語の根幹を成しています。
そして、バラバラだったピースから「空白の3年間」という一つの物語が紡がれた時、その愛に溢れる結末に震えが止まりませんでした。
あぁ、そういうことだったのかという納得感と清々しい読了感。そのタイトルの秀逸さも唸るものがありました。
誘拐事件の裏側に潜む紛れもない真実。それは『存在』の美しさと生きることの尊さ、確かにあった愛情。それらをしっかりと世に残すために筆を握り続けるという写実画家の矜持。
誘拐事件と画家、記者、それに愛情と一見すると相容れない要素をこれでもかと見事に描き込んだ著者の筆力には脱帽しかありませんでした。
こんな人にオススメ
・堅実に真相に近づいていく作品が好き
・愛に溢れる感動作が好き
ミステリー要素がありながら、トリックやどんでん返しはありません。どちらかといえば、事件によって運命を変えられた”人間”の物語です。
視点を変えながら、少しずつ真相に近づいてくので、時間があるときに一気に読み進めていくことをおすすめします。
画家や記者の矜持など現実ではなかなか見ることのできない世界も描かれており、見どころ満載の作品となっております。
塩田武士氏著作『存在のすべてを』ぜひ読んでみてください。